おい、電気屋って呼ばれるところに、
私たちの誇りがあるんです。

電気系エンジニア
T.K.さん
入社14年目

以前は広島市内にある大手百貨店の外商として働いていたT.K.さん。
ある時「このままずっとこの仕事を続けていっていいのだろうか?」と感じるようになり、実家のある三原市に帰ることを考え始めた時に、この会社と出会い、それまで経験のない電気技師としての道を歩み始めました。
家族も賛成してくれたそうで、電気エンジニアとして17年のキャリアとなりました。

「おい、電気屋!」と呼ばれることへの誇り

まったく新しい業界でしたから、それまで電気工事というのは大手ゼネコンの下請けという印象でした。
実際、現場に行くと「おい、電気や!」って呼ばれていましたから、最初は完全に見下されていたようにも感じていました。
会社の支援もあって「第一種電気工事士」、「一級施工管理技術士」の資格も取り、徐々に現場での仕事も慣れ、工事全体のことが分かるようになってから、見方が変わりました。電気がなければ現場は何も動かないということに気がついたんです。今のデジタル社会も同じですよね。それと、代わりがないんですよ、電気には。水道の水はペットボトルがあり、ガスにもコンロという代用品があります。でも、電気には代わりがないんですね。ですから、電気屋がしっかりとしてた工事をしておかないと現場は予定通りに動かないんです。
ひとつの現場仕事はだいたい半年くらいかかりますが、終わった時の達成感は、以前の仕事では感じられなかったものがあります。

海外からの就労者を受け入れ、
資格取得の支援体制も万全。

電気系エンジニア
H.O.さん
入社15年目

主要取引先の大きな工場には、電気工事士の資格を持ったエンジニアを複数名、毎日派遣しています。
生産ラインの改善や新しい技術に対応した電気配線工事、それに伴うソフトウエアの更新など、事業主のニーズにリアルタイムで対応可能な体制を提供しています。
写真左から2番目、ベテランエンジニアのH.O.さんをリーダーとして、ベトナムから就労している3人の社員は、取引先からも厚い信頼をいただいている有能なエンジニアです。

ベトナムからの就労エンジニア

もともとトラックドライバーだったんですが、この会社の創業時からお手伝いをしています。ゼロから電気エンジニアとしてのキャリアを積み重ね、今では主要取引先の大規模工場へ毎日若手エンジニアと一緒に出向いています。
一緒に働いているのが、写真右からG君、L君、そして写真左がC君の3名。C君はまだ数ヶ月ですけど、G君とL君はもう5年以上のキャリアがあり、日本語も上手だし、自動車運転免許も取得、そして電気工事士としての資格も取得していますから、依頼先からも厚い信頼を得ています。

一番キャリアの長いG君は「会社のみさなんが言葉も資格試験のこともぜんぶ教えてくれます。みなさんとても親切です。私たちにとっては先輩のみなさんは先生です。」と言い、我々のことをみんな先生って呼んでいます。G君もL君も結婚して奥さまと暮らしています。G君はベトナムのお母さんのために家を新築してあげました。でも最近は円安でちょっと大変かもしれないですけど、その分一生懸命働いてくれればと期待しています。

人を笑顔にする仕事に出会えて
新しいことにもチャレンジできる

新しい可能性にチャレンジする
M.Y.さん
入社2年目

M.Y.さんは、インドカレー「ダーニャ・バード」の運営をマネージメントしています。入社して1年半ですが、最近はSNSを活用しながらキッチンカーでの外販が大きく売上に貢献し、電気工事会社の枠を超えた新しい可能性にチャレンジしています。

お客様の笑顔を見るのが楽しくて

高校を卒業した時、自分の手で一から作り上げる仕事がしたくて、農業に関心を持ちました。美味しいものを作って、それを人が食べると笑顔になるでしょ、ただただ、それが嬉しくて。
ベトナムで農業法人の活動に参加し、その後アメリカに渡って、ファーマーズマーケットの運営を経験しました。卵の養鶏農家さんと一緒に販売も経験しました。慣れない英語で(笑)。帰国後、一度は就職をしましたが、コロナ禍で地元の広島に帰ることにし、地元で働くところを探している時に、インドカレー屋さんが目に止まり、「あっ、これだ」とすぐに申し込みました。ちょうどキッチンカーを使った販売を始める頃で、すぐに任せていただき、今では毎週のようにイベントを探して、シェフと一緒に出かけています。
人を笑顔にするのが好きで、それは、社会インフラの工事でも同じだと思います。電気がないと今のデジタル社会での快適な暮らしはできませんよね。食を通して人を笑顔にする、これからも新しいことにチャレンジしていきたいと思います。